中国ビジネスの専門家

中国による海外企業への投資・買収

2008年5月

中国政府、民間企業が海外への投資、M&Aを積極化させている。世界中からかき集めた対中国投資で貯まりに貯まった外貨を逆流させ始めたのだ。「走出去」(海外進出)はいまや国家戦略である。

2007年9月、世界最大級の政府系ファンド(SWF)が、中国で誕生した。中国投資有限責任公司(CIC)。設立時の運用資産額はなんと2000億ドル(20兆円)。正式発足前の2007年5月、米系投資ファンドのブラックストーンに3000億円、2007年12月にはサブプライムローン問題で巨額の損失を計上した米モルガン・スタンレーに5000億円を投資した。

CICの運用原資は、中国の外貨準備の一部を取り崩したものである。中国の外貨準備高は1兆5000億ドル(150兆円)を突破し、日本を抜いて世界一にのし上がった。2006年12月~2007年12月のわずか1年間だけで50兆円も増えたのだから尋常ではない。

中国の経済発展は、明らかに新しいステージに突入している。これまでは「引進来」で、中国内への外資誘致を進める段階だった。外資が中国に工場を建設し、集中豪雨のような輸出が始まった。稼いだ外貨を流出させないための厳しい外貨管理を実施することで、中国の外貨準備は猛烈な勢いで積み上がった。

経済発展の第2段階は「走出去」、すなわち海外進出である。稼いだ外貨を逆に海外にばらまくことで、投資収益を得るビジネスモデルだ。CICは、走出去のいわば先兵ともいえる。

走出去が急加速したのは最近のことだが、言葉自体は1990年代後半からあり、一部の大企業はすでにM&A攻勢をかけていた。その代表格は、なんといっても資源関連である。

中国の3大石油会社--中国石油天然気集団(CNPC)、中国海洋石油(CNOOC)、中国石油化工(SINOPEC)--および中国中化集団(Sinochem)のアフリカ進出状況についてまとめたものである。

CNPCが最初にスーダンに進出した1995年から10年あまりで、中国はアフリカ15ヵ国に足がかりを築いた。2005年から2006年にかけて、CNOOCはナイジェリアで約2700億円の資産を買収、SINOPECはアンゴラ深海鉱区入札で1000億円の一時金を出し、競合他社をあっと驚かせた。

アフリカ諸国の旧宗主国は欧州諸国で、そもそもはヨーロッパの庭先みたいなものだったが、いまや札束の力でアフリカ大陸は赤色に染まっている。

巨大な輸出産業を抱える中国にとって、エネルギー・資源確保は死活問題。アフリカだけでなく、全世界にまで走出去の動きが及んでいる。

2008年に入ってからだけでも、2008年2月に中国アルミ業が米アルミ大手のアルコアと組んで豪リオ・ティントの株式12%を取得し、中化石油はイエメン企業買収により原油権益を獲得した。投資攻勢はすさまじい。

ロシア、イランにも戦略的投資を続ける

最近では、走出去の動きは業種を問わず広がっている。その先駆けとなったのは2004年、中国聯想集団(レノボグループ)による米IBMのパソコン事業買収である。約1800億円を投じてIBMのブランドを買ったレノボの決断は、世界を震撼させた。

最近では、金融機関が買収攻勢をかけ始めている。2007年1年だけでも、中国工商銀行が南アフリカ共和国、マカオ、インドネシアの銀行買収(資本参加)に踏み切った。中国開発銀行は英バークレイズ銀行に30億ドル投資し、中国民生銀行は米UCBHへの資本参加を果たした。中国平安保険はベルギー・オランダ系の会社に総額約6000億円を投じた。

中国の対外投資案件(認可ベース)を見ると、1990年代後半には200件そこそこだったものが、2005年以降は1000件をゆうに超えている。

CICの投資は今のところ大失敗と酷評されている中国だが、いくつかの戦略的な動きも見て取れる。

たとえば、対ロシア戦略。奇瑞汽車がロシアの自動車メーカー、アフトトルと提携し、奇瑞汽車の工場での生産を開始。長城汽車もロシア・タタルスタンに合弁会社を設立し、完成車のアセンブリ工場を建設する。

最大の輸出相手国が米国なので、中国は米国と正面切って衝突することはしないが、一方ではロシアとも手を結び、両天秤をかけることを忘れない。中国のしたたかさであろう。

加えて、奇瑞汽車は2007年8月に3億7000万ドルを投資し、合弁でイランに年産20万台の大型工場を建設する。折も折、イランは上海協力機構(中国とロシアが主要メンバー)への加入を申請しており、中国・ロシア陣営に急接近している。奇瑞汽車の投資は、そうした外交情勢とも決して無縁ではあるまい。


杭州に集積するIT企業で最も成功している企業アリババ

2008年5月

アリババは、杭州に集積するIT企業のなかで間違いなく最も成功している企業の1つである。1999年、馬雲・アリババグループCEOの杭州の自宅の小さな部屋--壁から水漏れがしていたという--で産声を上げ、10年もたたぬうちに企業間の電子商取引サイトでは、押しも押されもしない世界最大の企業となった。

企業間の電子商取引サイトは、米国でも成功していない。それが、なぜ中国で成功したのか。衛哲・アリババドットコムCEOは、こう解説する。

「われわれは、ホームページ(HP)すら持たない約4000万社もの中国の中小企業を、インターネットを使って世界中の取引先企業と結び付けた」

米国で企業間の電子商取引サイトが成功しなかったのは、皮肉にもネット普及率が高過ぎたからだった。米国の中小企業800万社のうち700万社が自社のHPを持っているため、自社の力で情報発信できる。

ところが中国では、HPを持っている中小企業はわずか80万社程度。アリババは、そこにビジネスチャンスを見出した。アリババのサイトでは、300万社もの製品情報を年会費5万元(75万円、中国企業の場合)で掲載し、売り手と買い手のマッチングを実現している。今では、アリババの1日当たりのページビューは1億に達する。

2007年11月、香港証券取引所に上場を果たしたアリババの次のターゲットは日本市場。「日本は中国とよく似ている。400万社ある中小企業のうち、電子商取引を経験している企業は20%に満たない」(衛CEO)。2008年中にソフトバンクと合弁会社を設立し、本格展開に乗り出す。

浙江商人が形成した中国最大の企業集積

なぜ、杭州にハイテク企業が集積しているのか。理由は大きく3つある。

第1の理由は、浙江省が抱える産業の裾野の広さである。浙江省の工業系企業数は4万5686社で、上海の約3倍、全国トップだ。うち私営企業数も2万8715社で上海の5倍強あり、やはり全国で断トツである。

「浙江商人」という呼び名があるほど、昔から浙江省出身の人間は独立独歩で起業家精神に富んでいる、といわれている。企業数の多さはそうした気質からきている。

また、GDPの内訳を見ると、第2次産業から第3次産業へ産業構造がシフトしている上海と比べて、浙江省はまだ第2次産業が経済成長を牽引しており、成長率も上海より高い。

少々余談になるが、浙江省には、ミシンで世界3位の飛躍集団、世界8ヵ国に拠点を持つ自動車部品の万向集団など、知られざるグローバル企業がごろごろしている。浙江商人は世界を股にかけて活躍しているのだ。

杭州にハイテク企業が集積する第2の理由は、優秀な人材が多いことである。地元の浙江大学は、大学ランキングで全国3位に入る名門校。浙江省全体の教育水準も高い。

第3の理由は、進出企業に対する開発区政府の手厚いサポートである。困ったことがあれば、開発区政府の責任者が、その問題に関連しそうな部門の担当者全員を引き連れてすっ飛んできて、その場で解決してくれる。

加えて、人材を定着させるための努力も怠らない。ハイテク技術産業開発区内には、全寮制の優秀な中学校やインターナショナルスクールも併設されており、マンションも次々と建設されている。

開発区政府は非常にビジネスマインドが強い。自分たちが公共サービスを提供することで進出企業の業績が上がれば、税収の増加につながることをきちんと認識している。彼らもまた、まぎれもない「浙江商人」なのだ。

米国の開発拠点を丸ごと中国に移転

ハイテク技術産業開発区のなかでも、その大きさとガラス張りの先進的な外観で目を引くのが、米UTスターコムである。ビルの1階にはスターバックスコーヒーが入っており、いかにも外資系らしい雰囲気だ。

米UTスターコムは、中国をグローバルの開発拠点と位置づけており、かつては米国にあった開発のリソースの9割以上を中国に移転した。ずいぶん思い切ったことをしたものだが、「中国の通信関連技術は疑いなく世界水準に達している」と陸弘亮・UTスターコムCEOは事もなげに言う。

中国では通信分野の競合が激しく、生き残りのために各社が切磋琢磨した結果、技術水準が向上したのである。

つい先日も、カナダのノーテルや独シーメンス、米シスコといった世界の名だたる企業が参加した韓国テレコム向けの光伝送装置の入札で、「全28社中最高の技術評価を獲得した」(陸CEO)結果、米UTスターコムが見事落札した。

現在注力しているのはIPTV(インターネットプロトコルテレビ)である。光回線やケーブル回線につながったセットトップボックスを通して、テレビ番組や映画、渋滞情報など、好きなプログラムを好きな時間に見ることができる。

たとえば、前日見逃したドラマを、翌日自分の好きな時間に呼び出して視聴することができる。日本のようにハードディスクに録画する必要はなく、サーバ側にあるデータを呼び出すだけですむ。

また、好きなテレビ番組をリアルタイムで見ているときに電話がかかってきた場合などは、一時的に視聴を停止しておいて、電話が終わったあとで続きを見ることも可能だ。

IPTVは都市部を中心にすでに100万回線まで普及しており、UTスターコムは、5割以上のシェアを握っている。

最近では、中央政府が農村教育のために、テレビすらない地域に光回線を敷設してIPTVを設置し、専門の教育プログラムを流している。今後の有望市場であることは確実だ。

中国を代表する観光都市がシリコンバレーに変貌を遂げ、浙江商人と世界中の企業をIT技術によって結び付ける。こんなビジネスモデルは、中国にしかない。

中国ベンチャー起業家列伝

中国では新世代のベンチャー企業が続々と誕生している。共通点は、政策や産業構造の転換といった「変化」をチャンスととらえ、中国初、世界初のビジネスモデルを構築していることだ。

中国は韓国と並ぶ世界最大のオンラインゲーム市場である。市場規模は約120億元(1800億円)。100年の歴史を有する映画(30億元)を、たった7年で大きく上回った。

盛大互動娯楽有限公司CEOの陳天橋(34歳)は、その礎を築いた立志伝中の人物だ。1999年の創業以来、業界の先頭を走り続けており、現在も40%のシェアを握る。登録ユーザーはなんと6億~7億人に達し、ヒット作「伝奇世界」は、2006年の最優秀オンラインゲームに輝いた。

オンラインゲームの成功は、映画の失敗に学んだ。伝統的な娯楽産業である映画の市場規模が30億元にとどまっているのは、海賊版が氾濫しているからだ。そこで、サーバがユーザー認証して課金する仕組みを開発し、不法コピーが入り込む余地をなくした。ネット技術を駆使し、著作権問題を乗り越えたのだ。

「ネット技術とエンターテインメントを結び付ければ必ず新しいビジネスになる。著作権問題さえ解決すれば、中国のエンターテインメント市場は世界水準まで急成長できるはずだ」という陳の発想は、コピー天国といわれる中国にあっては斬新だった。

創業当時の中国では、ポータルサイトや検索サイトなど、米国発のビジネスモデルをそのまま取り入れるネット企業が続々誕生していた。だが、「他社のビジネスモデルを模倣するのはいやだった」。陳は独自のビジネスモデルにこだわり、ゼロからオンラインゲーム市場をつくり上げた。

創業後、次々とソフト開発会社を買収してゲームタイトルを充実させ、破竹の勢いで成長を遂げた盛大は、2004年5月、米国ナスダックへの上場を果たす。だが、すでにそのとき、オンラインゲームのコアユーザーは飽和しつつあった。

陳の決断は速かった。ゲームにあまり興味のないユーザー層を開拓するため、なんと、それまで有料だったオンラインゲームをすべて無料にしてしまったのだ。まず無料でゲームを楽しんでもらい、その後ネット上のバーチャルコミュニティでおカネを使ってもらうビジネスモデルへの大転換を断行した。

たとえば、バーチャルコミュニティ内では、友人の誕生日にケーキ(本物ではなく、あくまでバーチャル)を贈ることができる。ゲーム自体は無料だが、ケーキ代は有料にした。

主要な収入源がなくなったと見なされた盛大互動娯楽有限公司の株価は、45ドルから12ドルまで急落、競合他社からは「もう盛大はおしまいだ」と陰口もたたかれた。

だが、陳の狙いは見事に的中する。飽和しかけていた登録ユーザー数は、その後も四半期ごとに2ケタ増を続けており、2007年度の売上高は、ビジネスモデル転換前の2005年度の2倍になった。陰口をたたいていた競合他社は次々にゲームを無料化し、盛大の「模倣」に走った。

「今はゲームがメインだが、盛大が目指しているのは、プラットフォームカンパニー。いずれ音楽や映画なども、プラットフォームに組み込んでいく」

欧米の模倣はしないという信念を貫き、中国オリジナルの事業をつくり上げた陳は、今では中国有数の大富豪でもある。


最高学府の競争力

中国の大学は、優秀な人材育成のみならず産業育成、事業経営にも乗り出している。最高学府「清華大学」「北京大学」の研究を通じて、中国の特質である「人脈資本主義」の本質に迫った。

その男が総裁に就任した8年前、ITプログラマー育成を手がける「APTECH」は赤字でつぶれる寸前だった。当時のITプログラマーは非常に高学歴で、博士号を持っている者も少なくなかった。そこで、男は考える。

「ITプログラマーに学歴は必要ないのではないか。専門大学、高校卒でも基本的なプログラミング技術さえ学べば、立派に通用するのではないか」と。

男の名前は楊明(42歳)。中国のITプログラマーを「ブルーカラー」化し、IT業界に革命をもたらした。

彼がAPTECHに転じる直前の入学生は1200人、それが2007年はなんと20万人にまで増えた。「100日間の学習内容を20日でマスターする」と評される速習プログラムを学んだ学生は、ITプログラマーとしてソニーやIBMといった超一流企業に職を得る。

フランチャイズを含めて中国全土に220の学校があり、いまやITプログラマー養成の38%ものシェアを握る最大のインキュベーター(孵化器)に成長した。APTECHの授業プログラムを買ってそのまま導入している大学も少なくないという。

「2008年中にニューヨーク証券取引所に上場したい」と楊明。「きっと彼はものすごいお金持ちになりますね」と通訳の女性が、ため息をついた。

APTECHの親会社は「北京大学青鳥集団」という。驚いたことに、大学が事業経営を手がけているのだ。日本ではちょっと考えられないことだが、中国では「校弁企業」(大学発のベンチャー企業)がベンチャービジネスの主流であり、全国では4600社、売上総額1兆5000億円を稼ぐ規模にまで成長している。

北京大学が経営する「北大青鳥集団」「北大方正集団」、清華大学が経営する「清華同方」「清華紫光」は校弁企業の代表格で、それぞれが複合経営を手がける。

北大青鳥の場合、APTECH(ITプログラマー育成)のほかに、私立の小中高校・大学経営、ITサービス・ソフトウエア開発、不動産事業、環境事業、果ては新聞・ケーブルテレビといったメディア展開まで手がけているから、じつに幅広い。

経営実務を担うエグゼクティブはことごとく若い。ITサービス・ソフトウエア開発部門で1000人の社員を率いる李峰は1970年生まれ、まだ30代だ。身長196センチメートルの巨漢で、いかつい顔つきがちょっと怖い印象だが、言葉の端々にインテリジェンスを感じさせる。彼が、こんな昔話を教えてくれた。

いわく、道を歩いていると、先が2つに分かれている。一方には「資本主義」、もう一方には「社会主義」の看板がかかっている。

そこに、ブッシュ(父)が通りかかり、迷うことなく資本主義のほうに進んだ。エリツィンは、ちょっとためらってから同じく資本主義へ進んだ。

で、鄧小平(トウ・ショウヘイ)はどうしたか?

「資本主義と社会主義の看板をかけ替えて、社会主義(つまり、元は資本主義の方角)に進んだそうですよ」

よくできた話である。

1997年、投資コンサルタントから北大青鳥に転じた副総裁の侯〓(ホウキ)によれば、「その当時の総資産が500万元。10年間で60億元まで増えました。1200倍ね! 世間では青鳥じゃなく“神鳥”と呼ばれていますよ」。

経営チームが非常に若く、決断は速いが、裏を返せば熟慮が足りない。だから、「失敗してばっかり! 失敗のほうが成功より断然多いですよ」と侯〓(ホウキ)。しかし、失敗を悔いている様子はまったくうかがえない。

そういえば、1997年から2004年にかけて、校弁企業数は2000社も減っている! 成否の確率は、どこの大学も似たり寄ったり、ということだろうか。

朱鎔基のツルのひと声で産学研ブームが到来!

1992年、後に首相となる朱鎔基が「産学研連合開発プロジェクト」をぶち上げた。

「産業界と大学、研究所が一体となって、中国の国際競争力を高めていこう」という明確なメッセージがきっかけとなって、大学がビジネスに参入する時流ができた。

ひとえに産学研といっても、いろいろな連携がある。おおまかにいって、パターンは5つ。

1つ目は、北大青鳥のような校弁企業である。校弁企業は、大学が所有するサイエンスパーク(科技園)に入居することが多い。

北大青鳥もそうだったが、当初は大学教授、学生だけで事業経営していたので当然うまくいかず、1990年代後半から民間企業の資本、経営者を招聘してテコ入れした経緯がある。

2つ目は、企業を主体とした大学参加型の連携。東軟集団が東北東軟信息技術学院という学校を経営したり、江蘇淮化集団有限公司が南京理工大学に研究開発を委託する例などがある。

3つ目は、研究院・所と企業、大学が連携する「院弁企業」である。政府系シンクタンクの中国科学院が北京百奥薬業有限公司を経営している例が当てはまる。

4つ目は、政府を主体とした大学、研究院・所参加型の連携だ。たとえば、「国家863計画」は、政府主導のリチウム電池プロジェクトに産学研が連携している。

最後の5つ目は、企業と大学、研究院・所が共同で産学研プロジェクトを行なう場合。西安交通大学と長天国際控股有限公司がハイテク企業を設立している。

こうした産学研プロジェクトは、中国国内企業・大学同士がむやみな過当競争に走ることに伴う国際競争力低下を防ぐ狙いもある。すべては、中国国家のために。日本の企業、大学の関係とはまるで違う。

清華出身者が牛耳る「共産党最高指導部」

日本では、中国の最高学府といえば、北京大学だと答える人が多いだろう。

だが、中国での評価はいささか異なる。大多数の中国国民は、清華大学こそナンバーワンだと答えるだろう。

それくらい、清華大学のプレゼンスの大きさは群を抜いている。政財界に根を張る「人脈」の強さが、北京大学とは比べものにならないのだ。

わかりやすい例を挙げよう。

2007年10月に中国共産党第17回大会で選任された共産党最高指導部(政治局常務委員)のメンバーを列挙したものである。中国国民13億人のうち共産党員約7300万人、共青団約7000万人の頂点に立つのが、この9人だ。

まず、序列第1位の胡錦濤・国家主席(65歳)が、清華大学水利工程学部卒業である。

続いて、序列第2位の呉邦国・全人大常務委員会委員長(66歳)が清華大学無線電子学部卒業、「ポスト胡」の呼び声が高い習近平・国家副主席(54歳)も清華大学工程化学部卒業だ。最高指導部9人中3人が、清華大学出身者で占められている。

ちなみに、5年前の2002年に選任された胡錦濤体制1期目のときは、最高指導部9人中4人が清華大学出身者だった。

過去を振り返れば、朱鎔基や胡錦濤、温家宝の才能を発掘した宋平も清華大学出身。

それだけではない。これらの指導者たちを頂点とした共産党ピラミッドのうち、高級官僚や地方政府要人、軍幹部などの政府要人、財界のあらゆる階層に清華大学出身者が控えている。「清華マフィア」と呼ばれるゆえんだ。

それに引き換え、現最高指導部のなかで、北京大学出身者は、習近平のライバルといわれる李克強・筆頭副総理(52歳)ただ1人しかいない。こうなると、政治の世界における北京大学の劣勢は明らかである。

この李克強を除けば、8人全員が理系出身者。欧米や日本とは異なり、学生時代に工学を学んだテクノクラートたちが国家指導者になる構造だ。こんなところに共産党の実利主義や科学技術立国を目指すお国柄をひしひしと感じることができる。ちなみに、清華大学は理工系に強く、北京大学は法文系に強い。

中国は共産党国家でありながら、「人脈」と「実利=資本主義」がなによりも優先される。いわば「人脈資本主義」だ。権力者たちは、人脈資本主義を駆使することで、さらに勢威を増していく。「清華マフィア」は、その最強のカードであるといえそうだ。

清華大、北京大が猛追 東大、京大を逆転か?

中国管理科学研究院のチームがまとめた「中国の大学ランキング」である。それによれば、1位が清華大学、2位が北京大学、という順位は、不動の指定席となっている。中国国内では、もはや敵なしの状態なのである。

それでは、海外の大学と比べたらどうか。英「タイムズ」誌がまとめた「世界の大学ランキング」(2007年)である。

ざっと見た感じで、英国びいきが過ぎるのではないかという印象がある。ランキングでは北京大学36位、清華大学40位、という順位となった。彼らが目標にしているかどうかはともかく、17位東京大学、25位京都大学の背中は遠くはない。

中国政府は、海外で通用するエリート集団を養成する、という国家戦略の下、早くから大学の構造改革に着手してきた。

2つのプロジェクトが同時並行で進んでいる。

1つ目は、1993年に発表された「211工程(工程はプロジェクトという意味)」である。大学改造のロードマップを示したもので、10年前後までに、中国国内の100校の大学や学科を「重点大学」「重点学科」に指定し、これらの大学やその傘下の学部、学科を世界で通用するレベルにする、というもの。もちろん、重点大学として選ばれた大学には、予算を重点的にばらまく。

211とは、21世紀の「21」と「100校」「100学科」を合わせた数字であり、簡単に言ってしまえば、13億人の国民のなかから、国際的に通用する超エリートを大学もろとも育成してしまおう、という壮大な計画だ。これまでに107ヵ所が認定されており、もちろん、清華大学、北京大学はその筆頭である。

2つ目は、1998年に江沢民が唱えた「985工程」である。これもまた世界一流の大学をつくろうというもので、やはり、清華大学、北京大学は第1期指定大学34ヵ所に含まれている。

当然のことながら、重点大学・指定大学に選ばれた大学は超難関校で、その頂点に立つのが、清華大学と北京大学なのである。

ところで、ここに興味深いデータがある。「清華大学(理系)の合格ライン」(2007年)を示したものだ。

中国の大学入試は、センター試験のように、全国共通の一発試験で行なわれる。31地区(市・省・自治区)にそれぞれ定員数が決まっている関係で、合格ラインの点数にはバラつきが出てしまう。

たとえば、海南省の合格ラインは850点であるのに対して、上海市の合格ラインは564点。300点近い格差が出てしまうのである。一般論でいえば、内陸部など田舎のほうへいくほど、高得点を取らないと合格できない。

この現実を不公平だと見る向きもあるが、高得点を取って入学してきた地方学生の優秀さこそが、大学の競争力を押し上げる源泉ともなっている。

そして、中国の最高学府で学んだ学生たちは、今度は、欧米留学へ向かう。その数は年間12万人。最強の頭脳集団が世界へと羽ばたいていく。